錦織へ

錦織神社と美具久留御魂神社(喜志の宮さん)が今年もだんじり宮入の中止を発表しています。

「五軒家」は8月頃には、だんじり曳行中止を決めていたようです。9月13日の時点では他地区(錦織、新家、須賀、廿山、甲田、宮甲田、加太、若一)の町会掲示板にはだんじり関係の告知はありませんでした。お隣の大阪狭山市内のだんじりは全て曳行中止。宮入が出来なくても地区内で曳行できる可能性も残されています。


近年、錦織神社には錦織・五軒家・廿山・甲田・宮甲田・新家・須賀・伏山・加太のだんじりが宮入します。明治末期の「神社合祀令」以前は村の神社へ宮入りしていたと思われます。

神社合祀令時に「水郡神社」から古来の呼称である「錦織神社」(明治42年)に戻しています。+天誅組の水郡善之祐を祀った神社とかん違いを避けるため。

錦織「韓国人(からくにひと)」を祖とする錦織村主

新撰姓氏録「錦部連」百済

明治末期の「神社合祀令」後、村社の御神体は錦織神社へ合祀

  • 錦郡村
若宮神社 
  • 廿山村
熊野神社
  • 錦郡新田(須賀)
菅原神社
  • 伏山新田
伏山神社
  • 加太新田
稲荷神社
  • 錦郡新田(須賀)「錦郡村乃枝郷」
  • 伏山新田(伏山)「甲田村枝郷」

この頃、「加太新田」は未開の地(廿山村の村落の一部)


富田林は石川型だんじりが主流で、岸和田や鳳との違いは、横しゃくり、ぶんまわしと大音量でマイクを使う「曳き唄」だんじりとなります。

錦織に入ると市の監査委員としても活躍中の西川議員の7枚目のガッツポーズが見えてきます。(町会掲示板となり)1枚目~6枚目までは「富田林で私が死んだら」 

公職の候補者等と後援団体(届出要)含めて12枚までOK!


元:田中銀行(錦郡村長)

大阪大谷大学

大阪大谷大学敷地内に現存する「耳薬師」、村社「若宮神社」は完全消滅。大阪大谷大学敷地内「上村」の耳薬師は残されていました。(お参りには大学へ事前連絡が必要です)


1961年

若宮神社へ行くには大阪大谷大学を横切る中道を通って地下道を潜る必要があります。

または、かつて若宮神社の参道であった「寺池」から地下道まで行くことも可能。

地下道を抜け暫く歩くと錦織公園に上がる階段が見えてきます。

三角点(小豆島産)辺りに錦郡字若宮山の「若宮神社」が鎮座していたと思われます。

「19年12月1日の放送では、大阪・富田林市の池で拳銃のようなものが発見されました。発見したゲストの稲村亜美は『そこそこ重たい』と表現し、視聴者も本物っぽい印象を受けたと思います。警察へ預けられましたが、結局、本物ではなく、モデルガンでした。物騒な話にならなくてよかったのですが、ちょっと肩透かしを食らいましたね」(前出・テレビ誌ライター)

錦郡小学校西の裏山、「聖音寺」(廃寺)。錦郡小学校は滝谷不動駅近くの「極楽寺」境内で開校(明治5年)しています。